ハイヤーセルフの導きがインドで私に与えてくれたもの6〜瞑想の極意

2017/08/14

「瞑想は途方もなく強力だが、あなたはできる限り深く入っていくべきだ。
それが自分の最奥の核に沈みこむのを許すべきだ。
それはあたかも矢が延々と飛び続けるようにあなたを射抜くべきで、
するとドリルで穴をうがっていて急に反対側まで貫通したような瞬間が、
ある日突然やってくる
 OSHO」


瞑想によって内側に入ることに恐れがなくなってくると、そこから更に深く、深く入っていくことが容易になってくる。
安心感を感じながら、観ることができるようになってくるのだと思う。
べったりくっついた感情と今までずっと自分だと思い込んできたマインドとの分離が起き、スペースができてくる感覚。(無の境地になるまでには段階があるのだと思う。

だから、瞑想で無心になれない!どうして?と思っているあなた!心配ご無用っ!!!
安心して、その段階を通って…内側に内側に更に深く入っていってください(><)
客観的に自分のマインドの声を観ることができるようになってくる。

モヤモヤ、ザラザラしている感情が薄くなり、切り離されて観えるようになるとかなり楽になってくる。

Meditation in depthのクラスでは身体をどの様に使うことが効果的な瞑想の効果を生むのか、各瞑想の特徴を検証しながら、更に深く、深く入っていくコツを学び、実践していく。身体を使うコツがわかるようになると、得られる結果がまるで違うことを実感し、更に瞑想の面白さを益々体験するようになってきた。嬉しい〜〜〜 ^^

本当に身体と心、魂は連携しあっている。
このグループに入る前に、Body&Mind Balancing の個人セッションを受け、
深呼吸とからだの自分固有の癖を治すための練習を始めていたため、
グループでの授業の深さを更に実感することになったのは大きな喜びだった。
必然に私に与えられた流れに幾度も、幾度も感謝。。。

実は、授業を受けている途中で何度もマインドが「あること」に
リアクションしている事に気づき始めていた。

しかし、この課題に蓋をすることに慣れていた私は、
「このことを観たとしてもきっと解決はできない!。」
と言っている更なるマインドの声を聞くことになる。

何重にもマインドの毛布がかけられてきた、根の深い課題!
う〜〜〜〜〜〜!

それは、「自分は廻りの人に比べてかなり劣っている。
馬鹿で、何も臨機応変に考え提案することもできない役立たずの存在。
常に一番ダメな人間だ。。。」という得体の知れない劣等感。究極のエゴイズム!


劣等感は究極の自己愛。その最たるものだと常日頃から思っている私は
この感覚が自分の中にあるのが許せないのだ。
究極のエゴイズムを持っていてそれをもっていることを許せないということは
更なる2重のエゴイズム!!!(笑)  なんということだ! (笑)
どんだけなんだよ〜〜〜(笑) (笑) (~o~)

そのマインドの声が自分の中にこだまし始めると、胸が苦しくなり、呼吸がしづらくなる…
ザワザワとした感じをお腹の方から感じて、顔がこわばり、
(きっと眉間に皺もよってる?と思われる)なんの閃きも生まれてこない。
フリーズしてしまうのだ。(おそらく、自分はダメだ、馬鹿だ。。。と言い続けていて
そのことで脳は容量オーバーなのだろう。。。!)

私は42歳で渡豪。英語は18歳の時から全く勉強していかなかったにも関わらず、無謀にもオーストラリア政府認定の医療マッサージセラピーの資格を取得するために挑戦した。
顕在意識では、新しいことを学ぶための渡豪。チャレンジと思ってのことだが、英語の習得、政府認定の資格取得と無謀な挑戦をすることによって、潜在意識にある劣等感を克服をしたかったのかもしれない。

でも、いくら学んでも、たとえ資格を取得したとしてもこの感覚は消えることがなく、いつまでもそしていつも私を苦しめ続けてきた。
外側でいくら頑張っても、何かを達成しても自分の中にあり続けるこの重〜〜〜く暗〜〜〜いいザワザワ感は消えることがないのだといい加減悟るしかない…

えええええ〜〜〜〜いっ!この場に及んで一番嫌いだったこの感覚が出てきたのだからもう、とことんまで観ようじゃないかっ!!!
自分だと思い込んでいたこの感覚は自分じゃないんだし!さっさとほかの感覚と同じ様に分離させてしまえっ!シュワ〜〜〜〜〜ッ!!!

数日後、Meditation in depthのクラスからシフトし、Facilitatorのクラスの授業に移行。
実際のファシリテートを行うための更なる奥深い授業になった。
とにかく、自分がハートを開くことが一番肝心!ということでチャクラをサウンドを使って開けていく。声をお腹から出す瞑想を行う。
チャクラとハートを開いていくコツを身体で実感できるまでひたすら、これでもか、これでもか。という感覚で瞑想が繰り返されていく。
(このひつこいくらいの「ひたすら感」はOSHO瞑想すべての瞑想に当てはまる感覚のように思う。)

自らハートを開いて公衆の面前に向き合うためのレクチャーを受け、プレゼンテーションする。
プレゼンをする前に知識の教育を受けるのが一般的だが(もちろんそれもありつつ、)メインはあくまでも瞑想していくことによっての解放だという授業の流れに感動した。

とことんまでクラスでも瞑想し、プレゼンテーションも終わった。…にも関わらず、あの暗く、重いザワザワ感がまだ私にまとわりついる。そして、その感覚が益々重くなっていっているのを感じ、上瞼までもが重く目を閉じてしまいそうになってきた。

Maxだ。。。やばい、完全にマインドに飲み込まれそうになっている。そう感じた。

この気持ち悪い感覚を授業の最後まで引きずりながら終わるは嫌だなぁ〜と思っていると、そこに、別のコースの案内を兼ねて、別のファシリテーターがゲストとしてクラスにやってきた。「Nourising the roots」というクラスの案内を兼ねて、その体験をすることでこのクラスの中でも深く入っていこうという試み。
私はその日、次のクラスは「Nourising the roots」に行こうと決め、既に予約をしていたのでここでその体験ができるのがとても嬉しかった!

仰向けに横になり、第一チャクラに深い呼吸を入れるために、腰を動かしながらチャクラに息を吹き込む「フ〜〜〜〜〜〜ッ」と声を出しながら全身全霊で行う。真髄の真髄にエネルギーを送り込む。
チャクラにエネルギーを送り込む瞑想の中では今までで一番深く強烈な瞑想だった。

7つのチャクラすべてに、これでもか、これでもか。。。というくらいにエネルギーを送る。ファシリテーターの声の誘導に合わせて。。。でも、やがてファシリテーターの声が遠くに聞こえ。。。自分がどこにいるのか、わからない様な意識状態になってしまった。

寝ていた様な気もするし、意識はあったような気もする。。。
いわゆる、トランス状態に入っていたのかもしれない。(後日、記)

気づいた時には、クラスの皆は起き上がっていて座っていた。
私はしばらく眠っていたのかもしれない…
しかし、この最後の瞑想の前の究極にへばりついた重く、暗い苦しさはスッカリ軽くなっていた。
嘘みたいに、からだも心もスッキリしていた!!!
あの苦しさはマインドの最後のあがきだったのかもしれない。

すべてのカリキュラムを終え私達は再び全員でダンスした。
抱き合って、全員で手を取り合って丸く輪を作りダンスした。
瞑想で深まっていった仲間たちとの共鳴と助け合いのエネルギーを互いに感じ合う。。。
涙が自然に溢れてくる。
共に超えてきた感覚を無意識で感じ合えていたのかもしれない。
それぞれのドラマがここにはあった。

ありのままを観つめ続けた仲間。そして共に深く深く入っていき無をも共鳴できた仲間たちとはほんとうの愛にたどり着くことができるのだと実感した瞬間だった。