ハイヤーセルフの導きがインドで私に与えてくれたもの 1
2017/07/30
2017年6月27日
今回の修業の地インド,プーナにある、「OSHO International Meditation Resort」に到着。
ハイヤーセルフの度重なる、「6月にインドに行け!」の指令に突き動かされ、とうとう、インドまで来てしまった…
インドの地に足を降ろし、私が最初に見たものは
「喧騒たる光景….絶え間ないクラクションの嵐、嵐、嵐…!ヘルメットを被らず3人、4人乗りのバイクの蛇行運転、隙間なく行きかう車の数々…なんの秩序もないままに繰り広げられているかに見える、インドの日常。。。」だった。
(数日後、路上での事故を目撃。跳ねた車はそのまま何事もなく行ってしまい、跳ねられたバイクに乗っていた人は路上を歩いている人達が駆け寄り、2重の事故が起きない様に路肩に移動させる。(足が折れていたとみられます。。。)通常、事故で警察が来ることは滅多になく、できるだけ速やかに、交通を何事もなかったように整えないと、渋滞し、余計大変なことになるのでその様に事故処理をするのが通常とのこと。(驚!))
噂には聞いていたけど、実際に肌身で実感してみるというのはまた、一味も二味も違うものだ。
時速30km/h〜40km/hで公道をのんび〜〜〜り走る車が多い石垣島の長閑な光景が一瞬、脳裏をかすめた。
ところ変われば、暮らし方、生き方がすべて異なる世界が存在する。。。
そんな絶え間ないクラクションの嵐を横目に、言葉がないまま、施設専属のタクシードライバーの運転によって、施設に到着。
施設での手続き、登録と明日からの瞑想プログラムに入る前の事前の説明を聞き、今日はゆっくり休むことに…
外のインドの光景とは対照的な緑いっぱいのエネルギー溢れる広い施設の中を散歩し、からだを丁寧に洗い、清め、ベットでゆっくりと過ごす。
2日目 いよいよ、瞑想プログラムの初日
Welcome morningという名のオリエンテーションの一日。ここでの瞑想を一通り短い時間デモンストレーション的に体験し、期間中を有意義に過ごすための様々なルールや説明を受ける。
あり得ないことに?!突然生理が始まり、あの喧騒のインドの日常の街に朝から買い物に行くことに…!。
信号もないので、容赦なく走ってくる車やバイクの間をぬって小さなスーパーで必要なものを買う。店員は全くなんの愛想もなく、目も合わせないという無味乾燥な対応。
インドの日常にも慣れていこう。と腹をくくった2日目。
インドの現実の喧騒の世界と、瞑想の静かで厳かな空間はまるで真反対!(・O・)
この世界を行き来するようになることで見えてくるものは一体どんな世界だろう…!
私の今回の初めての瞑想は一日のハイライト、18時40分から行われる大切な瞑想、OSHO Evening Meetingからだった。
言葉で言い表せないものが体験されなければならない。
これは内なるスペースに入るという偉大な体験だ。
誰も言い表すことのできなかった何かが、この集いで体験される。
これは一日の仕事や瞑想やグループの参加の中でもっとも高い頂きだ。OSHO
からだを清潔にし、ホワイトローブに着替え、全ての参加者がAuditoriumに集まってくる。
神聖であり….なんとも言えない厳かな空間…
踊り、祝祭、沈黙〜
「努力なしの覚醒」、瞑想の本質を体験するためのユニークな機会と言われている大切な瞑想。
(!?努力なしの覚醒!!!!期待に胸が膨らむ。^^)
生理が始まった初日に真っ白のローブで身を包み、初めての瞑想に参加することになった厳粛さをどの様に例えたらよいのだろうか。。。
瞑想の中で、内側に内側に入り、ブッタのエネルギーと一つに溶け合っていった瞬間の至福感と何にも代えられない喜びをきっと生涯忘れることはない時間になった。
からだの芯、内側から込み上げてくるとめどない大波の様なエネルギーと共に
涙が溢れて止まらなかった。
「私は今、ここにいる!!!」
3日目早朝6時
いよいよ朝から晩まで行われる瞑想プログラムに通しで参加できる。
ところが!ワクワクする魂からの響きとは裏腹に、体が全く動かない。全身の全関節がガクガクになっていてバラバラになってしまったかの様な重さを伴う倦怠感と痛み。。。
まるでこの世の終わりを告げるがごとく?絶望感を伴う体の重圧感だった。(泣!)
この分離感は一体なに…?(゜Д゜;)
重い体を引きずりながら、OSHOダイナミックメディテーションに半ば無理やり?!参加。
「この瞑想は人を過去に閉じ込めている心身に古くこびりついたパターンを壊し、そうした牢獄の壁の向こうに隠されている自由と観照と静けさと平和を体験するための、速く、強烈で完璧な方法です。(自然全体が生き生きと市、夜は去り、太陽が昇りつつある、そしてあらゆるものが意識的になり、目覚める)早朝に行われることになっています。」
瞑想と聞くと、大方の人は静かに座って、目を閉じて行うものという認識を持っていると思う。しかし、OSHOの瞑想法は一般の認識とは違っていて、からだを思い切り使って行うアクティブ瞑想法が多いのが特徴。
特にこの早朝に行うOSHOダイナミックメディテーションは、体を徹底的に動かし、クッタクタになり、マインドを壊していく最たる優れた速い瞑想法なのだと言われている。
重く倦怠感でいっぱいの体に深く速いリズムのない強く吐き出す呼吸を繰り返す。深く吐く息と共にお腹の中から不要なエネルギーが出ていく感覚、深いところからもっともっと出したい衝動にかられる。体の反動を使い、呼吸をさらに深く激しく繰り返す。吐き出したい衝動感と裏腹にどうにも重だるい倦怠感との葛藤がマックスになる体が辛い〜〜〜っ。。。
でも、この辛さはエネルギーを徹底的に吐き出すことでしか解消しない!
そんな感覚もハッキリと感じ、辛いながらにめいいっぱい全身を使ってエネルギーを吐き出す。
生理2日目ということがこの体の倦怠感とネガティブなマインドを引き出すことに深い意味があったのだと、瞑想中に深い悟りがやってきた。
あ〜〜〜〜、そういうことだったのかぁ〜〜〜。
宇宙のタイミングと私の人生、そして体、マインドの暴走、そして魂は完全にリンクしていることを実感したのだ。
マインドが更に反応し、ネガティブな思考が止まらなくなり、不快だった最近の出来事が次から次へと、芋づる式に思い出されてきた。
感情と記憶が伴う呼び起こしは、痛みを伴うものなので決して楽なものではない。これが瞑想でなく、日常でのことだったら、たいていの人は記憶と感情を再び封じ込めるか、不完全なまま処理しようとする類のものなのかもしれない。
感情と記憶、自分だという感覚がビタ〜〜〜〜〜ッと貼りついているこの感覚。このビタ〜〜〜〜ッと貼りつき、感情や思考が自分だと本気で思っている感覚が本当に苦しいのだ。
この時、徹底的に全部観ようと思っていたので、とにかく、自然に心とからだが促されるままに瞑想に完全に委ねることに…
初日のダイナミックメディテーションはまさに激しく怒涛のごとく。。
からだを激しく動かし、心の牢獄からズルズルとネガティブなものが引きずり出された後、さぞかし疲れるだろうという最初の予想だったが、瞑想後は体が前より幾分楽に軽くなっていた!
あんなに激しく動き、葛藤し、不快な感情と向き合い、クタクタになっているはずなのに、瞑想前の重だるかった倦怠感が抜けていっている….!
この体験は大きな衝撃だった。
ときに起こることだが、あなたが一番居心地が悪く感じられる瞑想がひょっとしたら役にたつかもしれない。その不快感は、おそらくそれがあなたの癖や深く根付いている何かに反するからだ。私の観察したところによると、あなたが大好きな瞑想が一番良いとは限らないし、あなたが大嫌いな瞑想が必ずしも一番悪いとも限らない。なぜならあなたは自分のマインドに合うものを好むからだ。だから好き嫌いに構わないようにしなさい。
OSHO
このOSHOのメッセージからの体験をまさに、最初のダイナミック瞑想で体験したのだろう。
ムムム。。。とっても良い感じだ〜〜〜?
つづく。
www.osho.com/trademarks www.osho.com/copyright