55年かかって 母から神の愛を感じた日

2024/04/20

母との数ヶ月ぶりの電話

久しぶりに母と電話で話した…

本当はここ数日帰省する予定だったが、
ここのところ休暇が取れなかったので
体の休息を選択。
石垣の我が家で休むことを優先したから…

せめての罪滅ぼしのつもりでの母への電話…

母は6年前、脳幹出血を起こし、
瀕死の重症から奇跡の回復…
リハビリを経て麻痺もごく僅かで
そこから、車の運転免許の更新も出来
50歳から始めた
大好きなピアノも継続し
栃木で1人暮らしをしている…
現在78歳

昭和の古い時代の気丈夫で強気な人柄で
祖父母と父を看取ってからは
死ぬまで1人で暮らしたい、
特にあっこ(私)とは気が合わないから
絶対に一緒には住むことはできない。 
と言っていた。

罪滅ぼしの電話

が、しかし、
病気をしてから精神的に弱くなった
時期があり、一緒に住んで欲しいと
わたしに言う様になっていた…

わたしには石垣での生活の
基盤があり、aromayasoraがある…

母の希望にできる限り添いたいという
思いはありつつ…準備をしつつ…
諸々の状況をみながら
まだ決行できずにいる…

そんな母に対して
2024年、年を明けてから一度も帰省
出来ていない後ろめたさがあり…

今回の電話も
「お母さんの話を聞いてあげなきゃ…
帰れない分、私にできる親孝行をしなくては…」という思いからだった…

いつもと様子があきらかに違う母

いつもどおり最初は
お母さん、最近どうしてる?
よく眠れてる?1日どんな風に過ごしてるの?

という私からの質問に応える母…

夜中頻繁に起きてしまい
深い睡眠に至れないという相変わらずの
話の中にも現状を受け止め
思った様にいかないことも笑いにする様な
ゆとりを感じる話し方になっていることに
氣づく…

あれっ?
こんな人だったっけ…?
いつもと違う明るい雰囲気になっている…😳

いつもだったら母の深刻さに
わたしの体感が
重くなってる場面…
しかし、当然体感も来ない…

(⇧この件に関しては一美ちゃんと
お家DEリトリート終了時、
一美ちゃんとのリアルバトルからの
愛の変容を体験したことにより
カルマが解放されたのだと思う)

わたしの世界で起きている話を母にする流れに

どこからどんな話の展開で
そうなったかは忘れてしまったが、

結論として 
最近のわたしの世界で起きている
心の話を話す展開になった…

最近になり
自分には
存在しないと思っていた 
母性が内側からとめどなく湧いてくる…

しかしあまりに突然、表出してきた
出過ぎる母乳の様な雰囲気の
母性エネルギーに戸惑いがあり
過剰になり過ぎていることが
あるクライアントさんの負担に
なっているのではないかという
懸念になっていた😅

感謝を促し共に感じてくれた母

そのことをまず母に話すと
湧いてきている母性はそのまま
感謝して受け取ったらよい
子育ての代わりに今の状況が 
与えられているのだったら
クライアントさん達との出会いに
本当に感謝だね…

その方達が
あっこに出逢って
愛を引き出してくれたんだね…

あっこを
本当の母にしてくれたんだね。と…

母のその言葉に

ご縁の深いお一人お一人の
顔が浮かび、じわ〜〜〜〜っと
涙と感謝が湧いてきた

潜在意識から炙り出された記憶と感情

21年前、離婚し4歳の娘を置いてきて
我が子に出来なかった子育ての
やり残し

過去に蓋をしてきて置いてきた感情と
本音に氣付く様になり

そこから心身の更なるリリースが
進んでいることの詳細を
母に話す流れになった。

潜在意識から炙り出された記憶と感情…

24年前…
娘の出産時、
当時のわたしは

良い嫁、賢い嫁= 夫の下になる者

その家の人間になる=義父母や夫の価値観に従い不平不満や文句を言わず黙って受け入れる者
だと思っていた。

当時のわたしが見ていた歪んだ世界

娘を出産した時の記憶が蘇る…

その当時のわたしが見ていた世界…

元夫立合いのもと、ラマーズ法で娘を出産…

娘が産まれたその瞬間から
元夫の視点が100%娘に注がれる様になった。
同時にわたしは蚊帳の外的な
感覚を覚えるようになる

これは夫が子育てに意欲的になってくれると
いう喜ばしいことでありながら
わたしにとっては疎外感、孤独感が
表出されることになった大きな出来事に
なったことだった。

元夫&娘 そして 離れたところに
1人孤立する私…という構図。

がしかし、
当時は卑屈になってしまう
自分を大人気ない
幼稚な自分と思い、
無いことにして蓋をした。

翌朝、元夫の両親が1番乗りでやってきて

第一声は
お疲れさまでもおめでとうでもなく…

義父:
「K(元夫の名前)にそっくりだなぁ〜〜〜…!
可愛い顔してるなぁ〜〜〜!」

私:
「そうなんです。Kさんにソックリ
可愛い子で産まれてきてくれて
ホッとしました。
私に似てなくて本当に良かった〜.…」

義父母:
「ハハハ😂本当、あきこに似なくて
良かったなぁ〜…
Kにソックリで可愛く
生まれてきてくれて本当に良かった」

私:
「はい。本当に…」満面の笑み…

半分本音で半分なんとも言えない
やるせない感情があったにも
関わらずこれまた必死に蓋をした

重度の産後鬱

私はこの後、重症の産後鬱になり…
数ヶ月にわたり涙が止まらなくなる…

母乳は順調に出たし、
娘は静かで機嫌の良い
よく寝てくれる赤ちゃんだったので
子育てになんの苦労もなかった。
念願の赤ちゃんを授かり
幸せなはずなのに、
私の気持ちだけがブルーで
どうにもこうにも涙が止まらない…

当時は涙の理由はわからなかったけど
自らを自らで抑圧したことが
原因だったのだ。
と今更ながら氣づいた。

おそらく、それ以前から抱えていた
自分の闇がわかりやすく表出された
瞬間だった

外側に起きている幸せな世界とは
裏腹な孤独でやるせなくて
真っ暗闇の中に
自分だけ住んでいる

自分を蔑ろにすることが
賢い嫁になること、
娘が元夫の両親に
可愛がってもらうことだと
歪んだ理解をしていた。

元夫に似ていると強調すれば
娘は私が幼少期味わっていた
長男の子(嫁が産んだ子)の疎外感を
味合わなくてすむという誤算からだった。

祖父母は叔母が産んだ従姉妹達を
内孫の私達よりチヤホヤして
可愛がっている様に見えたから…

長年の疑問だった、我が子に母性が湧かなかった理由がわかる

しかし、その結果
当時のわたしは我が子を育てている
喜びや湧いてくる愛おしさを
全く感じられず、
子供を産んではみたものの、
自分は子育てにむく人間ではない、
母性のかけらもない。
愛し方がわからない、
我が子ですら愛すことができない、
冷酷な人間なんだ。と思っていた…

そして、これは生涯変わらない
私の性質なのだろうと諦めていた

しかし、今、あるクライアントさんとの
案件をきっかけに
潜在意識から湧いてきた
過去からのものを見せられて…

原因は自分の歪んだ思考、
幼少期のトラウマからの
解釈によって自分の感情の抑圧が
あったからだと悟った

わたしはここに蓋してきたから
母性が湧いてこなかったんだ。
まさに自然に湧いてくるものに対して
蓋をしていた…

しかし、今はその反動で?
蓋が開き、湧きすぎている…(笑)

母の全面的な擁護を受ける

母はわたしの話を一語一句
興味深く寄り添いながら聴いてくれた。

まずそのことに驚き…

更には
当時20代だったあっこが
どんな気持ちで赤ちゃんを
産んだのかという
ことも含めて全く理解ができない
未成熟な親が悪かったのよ。
親の精神年齢が低すぎたから
傷つけられたんだよね…

嫁に入ったら娘と思って接するって
言ったんだったら娘に対してすることを
嫁にもするのが当たり前でしょ…
それが出来なかった向こうの両親が悪い。
あっこは何も悪くなかったよ。

とまで言ってわたしを
全面的にホールドして
くれた。😭

お母さん、ありがとう。
そんな風に言ってくれることは
想像してなかったけど、
擁護してくれて嬉しいよ。

だけど、今回の論点はそこじゃなくてね、
わたしが自分のことをありのままに
愛せていなかったことが
娘を愛することが出来なかった
要因だったんだ。
と氣づけたことだったんだよ…

要はわたしの中に愛がなかったのに
形だけカッコつけた結末だったの…

お母さんがこんな風に深く話を
聞いてくれると思っていなかった…
お母さんは私以上のカウンセラーだわ…

まさに、神対応!

と、言ったら

親の務めと感謝

彼女はかなりびっくりしたらしく

子供の話を聞いてやるのが
親の務めでしょう…

お母さん、何も特別なことしてないよ。

…とアッサリ…

そして

わたしは子供達に負い目があるからね…
あなた達が子供の頃、
親(当時同居していた父の両親)
に氣を使うことで
精一杯で何もしてやれなかった。
放ったらかしだったから…
あなた達がどんな風に育っていったかとか
何も覚えていないのよ…

だから、何も出来なかった母なのに
こうやって素晴らしい娘に育ってくれた
と今、思えることが本当に感謝でしかない。
幸せで仕方ないのよ…

何も出来なかった、してやれなかったのに
こんなに素晴らしい子供達に恵まれている
幸せって本当にありえないと思っている…

親はなくても子は育つって本当だね。(笑)

そして、千葉眞市(他界した私の父)と結婚して
お父さんと夫婦だったということも
最高の人生だったと思う。
お父さんが生きている時は
わからなかったけど…(笑)

と言った。

愛をありがとう

そして、2人で
生前の父との様々なエピソードに
ひとしきり花が咲く…

無口な人だったけど、
要所要所で父が母に言った
「ありがとうな…」の一言の意味深さを
今はつくづく感じ入っているのだそう。

私が元夫と離婚したいと言った時
「あっこ、結婚は忍耐だぞ。離婚するな。」
「ひーたん(娘)に会えなくなるじゃないか…」
と俯いて悲しそうにしていた父…

しかし、それを押して私は離婚

その後は一言も
私の娘(父にとっての最愛の孫)の話は
しなかった父…

そこにどれだけの愛が存在するのかを
計り知る事はできない…

わたしと母は同時に
「千葉眞市って最高にカッコいい!」
と言っていた…

うわぁ〜〜〜〜〜…

母はいつの間にか
1人で完全なる存在
愛の人になっていた…

現状の様々な不具合になんの 
不平不満もなく…
全てを受け入れている中に
全てを感謝して
今を楽しみながら生きている…

更には
わたしの魂を過去のことも含め 
深いところから癒してくれた…

母も今世、自分を生きられない辛さを
沢山味わってきた葛藤の人生だった。

第一子で長女のわたしはその煽りを
虐待という形で受けてきた母との愛憎劇…


しかし、その旅路が月日を経てここまで
変容を遂げてきた関係性

そこから感じた愛が今ここに溢れ出す…

母の人生、
わたしの人生に関わってくれた
全ての方々に…
そしてただ愛に戻るために
全てが在るという
宇宙の法則に、ただただ感謝でしかない…

お母さん、お父さんあなたの娘に生まれて
本当に幸せです。

愛をありがとう。