宇宙愛の冒険へようこそ!OSHO瞑想合宿3Days in 那須町民宿松葉
2019/07/07
まるで家族のような温もりと安心感...
2019年6月21日から23日、今年も那須町民宿松葉にてOSHO瞑想合宿3daysを行いました。
今年も宇宙から選りすぐられた方々?がお集まりいただきました。
最初の段階からうちとけられ、皆さん「あ〜〜〜、懐かしいこの感じ。以前にお会いしたことある方との久しぶりの再会...無条件で安心していられるこの感覚はなんだろう...」という感じだったそう。
私自身も何の気負いもお一人お一人への特別過剰な気遣いも必要ない...このメンバーとだったら信頼の繋がりに身を委ね3日間やっていけるな...と感じ最初から自然体でとっても寛いだファシリテートではじまりました。
天然温泉と那須、松葉御膳!
1日目...民宿に集まれる時間に銘々にお越しいただき、那須湯本の硫黄泉掛け流しのお風呂にのんびり入り。。。松葉特製、那須山の幸料理に舌鼓...
温泉でゆったり寛ぎ、お腹も満たされた後...
翌日からの瞑想に備え、ウォーミングアップのための夜の瞑想を行いました。
瞑想に望むまでに宇宙からの与えられる課題... それは瞑想に入るための準備体操のようなもの
OSHO瞑想は初めての方がほとんどだったので、なぜOSHO瞑想が現代人に相応しいのか。瞑想とはいきなり無になろうとすることではなく、ボディ、マインド、スピリットの法則によって身体、心の様々な声に気づいていくこと...宇宙意識ーほんとうの自分ー愛と光とマインド(エゴ、思考、カルマ、トラウマからのゆがんだ思考パターン、集団意識による自己制限)との[差]に気づいていくこと。。。その気づきによって無の境地に達することなのだということをお伝えしました。
その後ひとりひとり今回の瞑想合宿に何を期待してここに来たのかということを含め自己紹介。
ところが!ところが!およよよよ〜〜〜〜...
自己紹介する人する人順番に泣き始めてしまうではないですか...(~o~)OMG!
なんと、8名中5名が泣きながら自己紹介という前代未聞の展開に...
この泣きながらの自己紹介でわかったこと。
今回の瞑想会に来るにあたり、参加者の方々はいろんなハードルを越えて「今、ここにいる。」ということでした。
瞑想会を前に祖父の危篤、その上大黒柱の母親が倒れ入院されるハプニング。今回は来られないかと思いきや、お姉さんが理解を示しピンチヒッターになり介護を引き受け、「あなたは一家代表で瞑想に行ってきて!」と背中を推してもらい、来られたという方。
(お姉さんもOSHO瞑想を一度経験され、瞑想をするようになってからのこの方の善い変化に気づいていたそうです)
ここ数年、社会的な役割を全うしようとするあまり、家庭や自分自身のことについて考える余裕が持てず流され続け疲れがたまっていた。今回は見失っていた大切なこと,夫婦の愛や家庭の愛を思いだそう、取り戻そうと意を決してこられた方...
離婚して母子家庭になり10年。子供達の学校などの養育費捻出も一段落。。。今まで必死に走ってきた母としての10年から一人の女性として新たな一歩を踏み出すため、今回参加された方...
アトピー性皮膚炎の症状を克服するためにありとあらゆることをした、がどこかいつも逃げてしまい、根本的なところまでたどり着けずにいた。今回内側から改善するには根源、源に繋がる瞑想は間違いなく今の自分に必要なこと。と確信し、参加。
オーストラリアに住むためにここ数年頑張ってきた。がしかし、外側に起きてきた様々なハプニング。そのことによって自分の内側の声の変化に気づき、もしかしたら、今、転機?自分はどう生きたいのかを改めて見直す時期にきているのでは?とクリアにするために来た方。
お顔から出続ける吹き出物に違和感を感じ、同時にどうしてこんなに自分は人見知りなのか?
泣きたいのに泣けないのはどうしてか?と自分の内面に対してのクエッションが勃発。そんなとき瞑想に誘われ、参加してみようと思った方。
瞑想会前に家庭内やお店の経営についての蓋をし続けてきたお金の問題が浮上。それぞれの立場から言い争いになった。定期的にこのテーマでの話し合いを行ってきたが今回が今までの集大成というような場面になった。自分とも家族とも向き合いやるべき事を決断し、行動し、今瞑想に向き合うことになった方...
そして、私は1年ぶりの石垣から栃木への帰省。母親の欲求と自分の望む生き方とのズレにヒダのヒダまで向き合うことになった。
皆さんそれぞれ、瞑想に来る前に与えられてきた課題にすでに逃げずに向き合ってきたからこそ、、「今、ここ」から瞑想に入る準備が。できていたのだと思います
瞑想とは「花開くこと...」 瞑想1日目夜のウォーミングアップ、アイコンタクトによる精通
まずは2人組になってもらい、仙台のワーク同様、アイコンタクトから魂のコンタクトに入っていきました。
目と目を合わせお互いに共鳴し合い泣いてしまった人...
相手の顔が般若のように変形し見えた人。。。
相手の瞳の中を通して自分自身の感情に気づいた人。
相手の感情を目から察し、愛のパワーを送ったことにより相手がその通りにしっかりとパワーを受けとり変化していったペア
相手の目を見ていて自分の心理的パターンに気づきそこから次第に深いところに到達し、最後は互いにダンスをするように心地よい揺れになっていつた人...
それぞれのペアに意識の精通と変容が起きた素晴らしいウオーミングアップになりました。
瞑想2日目 OSHO瞑想三昧のお味は...? 「愛」でした。
この日はいよいよ丸々1日OSHO瞑想にどっぷり浸かる日です。
インドのOSHO International Meditation center では朝の6時から夜11時まで様々な瞑想が行われています。起きてから寝るまで瞑想三昧の時間を過ごせます。ずっと瞑想を続けている。。。こんな時間の過ごし方ができると本当に人生変わります。(^-^*)
今回の那須の瞑想会ではインドまでとはいきませんが、9時から18時までを瞑想の時間にあて全部で3つの瞑想を行いました。
OSHOダイナミック瞑想、OSHOチャクラサウンド、OSHOクンダリーニ瞑想をメッセージの読み合わせ、瞑想後のシェアを含めて、各2時間半ずつ時間を充分にとり行いました。
いやぁ〜〜〜〜...
この日の皆さんの瞑想の深さと変容ぶりはとても驚きました。
ひとりひとりがご自身独自の思考パターンに気づき、そこから本来の愛の層まで到達できた瞑想になりました。共に瞑想した人々同士の同時の共鳴も素晴らしかったです。
参加されたお二人がFacebookの投稿に感想を書いてくださったのでこの内容については彼女たちの投稿をシェアここにさせていただきます。
遠藤香さんの投稿
https://www.facebook.com/kaori.endou.146/posts/1991300327642485?sfnsw=cl
清野美樹さんの投稿
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=335008587417592&id=100027253601984&sfnsw=cl
この日の瞑想後の夕ご飯を食べ終え、リラックス...そしてダンス...
皆さんの愛の波動の放射が広範囲に広がったお陰。瞑想したメンバーを介して県外からも仲間たちが集まってきたり、恩師を慕って交際報告にやってきた人もいて民宿松葉は若くてフレッシュなエネルギーで賑やかな夜になりました。
いやぁ〜〜〜。なんども言いますが本当にお一人お一人素晴らしい瞑想でした。
瞑想3日目 「瞑想は遊び」
3日目。今日は朝からまたまたOSHOダイナミック瞑想でした。
3日目のみ参加の方もいらして総人数16名での瞑想になりました。
遠く横浜から親子で参加された方もいました。合宿に参加された方のご両親が県外からお越しになり参加されました。
1日目から合宿での参加の方々にとっては仕上げの瞑想に。3日目だけ参加の方には初めの瞑想になりました。
最終日のOSHOメッセージ
「瞑想とは..遊び
瞑想は心(マインド)のものではない、それは心を超えたものだ。最初の一歩はそれに遊びごころをもつことだ。それに遊びごころをもてば、マインドはあなたの瞑想をだいなしにできない。そうでないと、それはあなたをとても深刻にしてしまう。
あなたは考えはじめる、「私は偉大な瞑想者だ。私は他の人たちより神聖で、世界中の人たちはじつに世俗的だ――私は宗教的だ、私は徳が高い」
――それが数多くのいわゆる聖者、道徳家、禁欲家たちに起こったことだ。彼らはエゴのゲーム、微妙なエゴのゲームを演じているにすぎない。
だからこそ私は最初の最初からそのまさに根を断ちたい。それに遊びごころをもちなさい。それは歌をうたうようなこと、ダンスを踊るようなことだ。それを楽しみと受けとめれば、あなたは驚くだろう
――瞑想に遊びごころをもつことができれば、瞑想は飛躍的に進歩し向上する。だが、あなたはどんな目標も追い求めてはいない。あなたはただ静かに坐ることを楽しんでいる、静かに坐る行為そのものを楽しんでいるにすぎない
――あなたがヨーガ行者のパワー、シッディ、奇跡のようなものにあこがれているからではない。そういったものはみんな無意味なこと、昔ながらのナンセンス、おなじみのゲームにすぎない。ただ新しい言葉で、新しい場面で演じられているだけのことだ……。
生というものは宇宙的なジョークとしてとらえられなければならない
――するとふと気がついてみればあなたはリラックスしている。
というのも、なにひとつ緊張することがないからだ。そしてそのまさにリラクセーションのなかで、なにかがあなたのなかで変わりはじめる
――根本的な変化、変容――そして生のささいなことが新たな意味、新たな意義を帯びはじめる。そうなればささいなことなどなく、あらゆるものが新たな香気、新たなオーラをまといはじめる。人はいたるところにある種の神々しさを感じはじめる。人はキリスト教徒になるのではない、ヒンドゥ教徒になるのではない、イスラム教徒になるのではない。人はただ生を愛する人になる。人はたったひとつのこと、生を歓び祝うことを学ぶ。
だが、生を歓び祝うことは神へと向かう道だ。神のもとへは踊りながら OSHO 」
愛を放射しなさい
最終日、ひとりひとりに最善の瞑想が行われたようでした。
最後まで涙、涙、涙...浄化の連続...笑いと涙の連続になりました。
瞑想の中に理由なく涙が流れ続けることがあります。ほんとうは悲しくて泣きたかった、怒っていてもどうしてよいかわからなかったんだ...という記憶にたどり着くこともあります...
今まで蓋をしていたところを開いて放出しきると...その中心に愛があることを人は知るのです。
生命力あふれる自分の本来の躍動感にふれることができるのです...
そのことに気づき、笑い、そして。。。涙...
こんな素直な愛のほんとうの自分に戻っていけるのが瞑想です...
最後に松葉特性のカレーライスをみんなで美味しくいただき、
この源から愛を放射する瞑想をして今回の瞑想会は終了いたしました。
わたしたちひとりひとりが本来の愛と光であることを思い出し、そしてその愛と光を放射しながら生きることができたらどんなに素晴らしい地球になるでしょう...
みなさんの愛が益々地球に宇宙に満たされますように...
みなさん、ありがとう。感謝。