2019年6月21日〜23日OSHO瞑想会 in 那須 民宿松葉のお知らせ

2019/05/20

瞑想合宿3Daysを那須高原 民宿松葉で行います

OSHO瞑想
OSHO瞑想

昨年に引き続き、那須高原、民宿松葉にてOSHO瞑想合宿3Daysを行います。

日時:2019年6月21日(金)〜23日(日)
時間:6月21日は夕方から始まり23日ランチを食べて解散。
場所:栃木県那須町 民宿松葉 http://nasu-matsuba.com/
定員:10名

参加費:3日間フル参加 30000円 (5つの瞑想、2泊 昼食、夕食込み+最終日昼食込)
    21日〜22日 25000円 (4つの瞑想、1泊 21日夕食、22日昼食、夕食込)
    22日〜23日 22500円 (4つの瞑想、1泊 22日昼食、夕食、23日昼食込)
    23日のみ    5500円 (1つの瞑想、23日昼食込)

*瞑想の形態上、朝食は水分のみ摂取。午前中は身体の排泄の時間に設定いたします。

参加ご希望の方はEmailまたはウェブサイトにてご連絡ください。
Email:aroma.ya.sora@gmail.com

瞑想プログラム

精通...そして至福
精通...そして至福

6月21日(金)
各自チェックイン頂き、時間に余裕のある方チェックイン後夕食前に温泉にお入りいただけます。

18:30〜20:00 夕食
20:00:00〜21:30 ウォーミングアップの瞑想&自己紹介
   就寝

6月22日(土)
 9:00〜11:30 OSHOダイナミック瞑想
11:30〜12:30 ランチ
12:30〜15:00 OSHOチャクラサウンド瞑想
15:00〜15:30 休憩
15:30〜18:00 OSHOクンダリーニ瞑想
18:30〜20:30 Dinner

自由時間:希望者はフリーの瞑想やグループシェアも可

6月23日(日)
 9:00〜11:30 OSHOダイナミック瞑想
11:30〜12:30 ランチ&3日間の振り返りシェア
13:00       解散


なぜ現代人にOSHO瞑想が必要なのか...?

和尚
和尚

もしあなたがもっと満たされた生を生きたいなら、まず最初に自分自身の可能性と、自分が実際のところ誰なのかを知りたいことでしょう。

瞑想とは、知ることの根源です。そして、覚醒の科学の方法論です。

内なる科学の美しさとは、内側を探索し経験したい人は誰でも、ひとりでそれをすることが可能だということです。これは、外側の権威への依存や、特定の観念だけを受け入れるいかなる組織や拘束に加わる必要性を、消し去ります。一度あなたが一歩の足取りを理解したなら、あなたは自身の力で、個人としてのやり方で、その歩みを始めます。

多くの瞑想テクニックが、静止して沈黙の内に座ることを要求しています。しかし、身体とマインドに留まっているストレスのため、私たちの多くにとってそれは困難です。ですから私たちは、内なる意識の発電所に近づくのを望む前に、緊張を解き放つ必要があります。

OSHO アクティブ メディテーションは、抑圧された感覚と感情を意識的に表現、経験し、習慣になっているパターンを新しい方法で見ることができるように、長い時間をかけてOshoによって科学的にデザインされました。

しかし、正確に 瞑想とは何なのでしょうか? そして、どのように 始めたらよいのでしょうか?

瞑想とは「花開くこと...」

目覚めのとき...
目覚めのとき...

花開くこと
 
「覚えておくがいい、瞑想はあなたにもっともっと知性を、無限の知性を、革新的な知性をもたらす。瞑想はあなたをさらに活気づけ、感受性豊かにする、あなたの生はもっと豊かになる。
 禁欲者たちを見ると、彼らの生はまるで生ではないかのようになっている。この人たちは瞑想者ではない。彼らはマゾヒストなのだろう、自分を虐待し、その虐待を楽しんでいる。マインドはひじょうに狡猾だ。それはたえずものごとをやりつづけ、それらを正当化しつづける。
 
普段、あなたは他人に対して暴力的だが、マインドはとてもずる賢い

――それは非暴力を学ぶことができる、非暴力を説くことができる。すると、それは自らに対して暴力的になる。そして、あなたがあなた自身にふるう暴力は、人びとから尊敬される。禁欲者であることは宗教的なことだという考えを彼らは持っているからだ。それはまったくばかげている。神は禁欲者ではない。さもなければ、花々はなかっただろう、緑の木々はなく、砂漠しかなかっただろう。神は禁欲者ではない。さもなければ、生に歌はなく、生にダンスはなかっただろう

――墓場に次ぐ墓場しかない。神は禁欲者ではない。神は生を楽しむ。神はあなたには想像できないほどの快楽主義者だ。もし神のことを考えるのであれば、エピクロスの観点から考えるがいい。神とは、さらなる、さらなる幸せ、喜び、エクスターの絶え間ない探求なのだ。それを覚えておきなさい。
 
だが、マインドはひじょうにずる賢い。それは麻痺した状態が瞑想なのだと正当化することができる。怠惰な状態が超越だと正当化できる。生気のない状態が放棄なのだと正当化できる。気をつけなさい。もしあなたが正しい方向に進んでいたら、あなたは開花しつづけることをつねに覚えておくがいい OSHO」