瞑想によるボディ,マインド,スピリットの覚醒が現実の生活に与える恩恵

2019/05/08

瞑想こそあなたの人生をクリエイティブする源

瞑想の極意
瞑想の極意

瞑想は心を落ち着け、リラックスすることはもちろん
実は現実の人生に与える恩恵は計り知れないものがあります。
今日は瞑想を通して起きる覚醒が現実の人生にどんな作用があり、どのように実生活に変化があり肉体と心がどの様に変容されていくのか。最近起きた出来事を通して、宇宙の法則の解説を交えながらシェアさせていただきたいと思います。

肉体は神の宿る神殿... が、しかし...

こころ、カラダ、魂
こころ、カラダ、魂

数週間前、Aさんの施術をしていたところ、
その方の子宮とベースのチャクラ、喉のチャクラに今までになく強い反応を感じた。
その反応に従いガイドの誘導に任せ施術が終わり、セラピストの立場では感触の善い施術になった。チャクラの詰まりが外れ解放に導かれ今まで冷えて無表情、無反応に思えた子宮やベースのチャクラが反応し、熱感を感じたからだ。

「いよいよ子宮に血とエネルギーが通いだした!!!」

しかし、施術後のAさんの表情はいつになく曇りがちで辛そうな面持ちだった。
施術中、喉がとても熱く、手術をし、摘出したはずの子宮がとても痛かったのだ。
術前は子宮筋腫が大きくなり生理を通しての大量出血、生理痛、それに伴う貧血で毎月点滴に通うなど子宮があるために苦労をした経験があり、術後はその苦痛がなくなりとても楽になっていたのに、なんで今更「ないはずの子宮」が痛く、あの痛みを思い出したのだろう…
と思ったそうだ。
すると、彼女はその場で自分のお腹、子宮の場所を叩きだした。
「どうして今また痛くなるの!!!バカな子宮!」と…

わたしはその姿を見てとてもショックを受けた。……

わたしたちは自分の肉体を憎む様に、酷使するように教えられてきた。とその様な言葉が度々OSHOメッセージにあるが、まさにこういうことという現実を目の前にみたショック…Aさんにというより人類全体に対してのショックだった。

肉体は魂=神が宿る神殿である。

にも関わらず、わたしたちは肉体を社会生活を成り立たせるため、働くために我慢や酷使させたり、美味しいものを食べるのを辞められない、お酒やタバコを辞められないといいストレス解放のため暴飲暴食したり、かと思えば太りすぎたといい、いきなり偏ったダイエットをしたり断食を始めたりする…
痛みに耐えられなければ痛み止めを飲み、病気になったら臓器を切り取る…
それでも経済や体裁を優先させ、その行動を辞められない。それがわたしたちだ。

病は氣からの本当の意味 〜潜在意識の力と影響〜

潜在意識のエネルギーとは
潜在意識のエネルギーとは

彼女の場合は、出生前、父親から男の子を望まれたが自分が女性で生まれたことがきっかけになり女に生まれてこなければ良かった、将来、結婚もしないし、子供も産まない!と子供の頃から決めて生きてきたのだそう。ほんとうにその通りお子さんを産まなかったそうだ。

「病は氣から」という言葉があなどれないように
自分の心で作り出すエネルギー(この場合生まれたままの自分の性を否定してきた氣)
は自分の身体に電気の様に流れ続ける。しかもカルマやトラウマから歪んだ解釈をし続けていることによって繰り返し、繰り返し思考をするのだ。その思考のエネルギー波紋の様に内側から外側に広がり外側に同じ周波数の出来事を創り出す。これが現象化されることによって、「ほら、やっぱり…世の中はこうだ」と歪んだ思考を信じ続ける。この現象によって更にカルマの思考を深くしていくのがカルマの法則だ。

彼女の心の女性性への否定のエネルギーは本来の魂とは異なるバイブレーション。そのズレがあるよ〜〜〜とわかる形で肉体は彼女にメッセージを送ってきた。
肉体は魂と心のズレをそのまま表現し、健全な状態に戻そうとサインをしてくれる機関。
それが重い生理、大量出血、子宮筋腫…という症状だったのだ。
身体は、子宮はずっと彼女にサインを送っていた。

肉体からのサインは本人が気づかなければ、気づくようにするために痛みや苦痛は増していく。その苦痛に耐えられなくなり、彼女は子宮を切除した。

ところがその当時の彼女は「子宮はわたしに苦痛を与える臓器、女に生まれたからこそこんな目にあってしまった!子宮がなくなってせいせいした!あ〜〜〜、楽になった。」
きっとこんな風に思っていたのかもしれない。

彼女に、「今回のトリートメントで子宮が痛みを感じ始めたのは善くなってきた証拠。そこからほんとうは子宮がAさんに対してなんとメッセージしていたのか、そして今また何を言っているのか瞑想してみましょう」
とわたしは言った。
Aさんは切除したはずの子宮が痛むわけない、いまさらなんのメッセージを受け取れというのだろう…と思ったかもしれない。
彼女は頭ではわたしの言っている事を理解してくれつつ、内心穏やかではなかったのではないかと思う。

彼女の腑に落ちない態度を見、私自身も時を同じくして再び疼きだしていた仙骨の痛みの中に入って瞑想してみることにした。ショックを受けるという反応した私自身も観るべき課題であり、瞑想で観えてきたことへのシェアをAさんにすることでAさんの気づきも促すことができるかもしれない。と思ってのことだった。

(誰かの態度やエネルギーに反応し客観的な視点でいられない時、鏡の法則でこちらサイドにもマインドが本来の方向、魂(愛)に変容されるために起きている現象)

意識と意識の繋がり。そこからの気づき...

意識と意識は繋がっている
意識と意識は繋がっている

意識の繋がりとはこういうことを言うのだろう。驚くことが起きてきた。

瞑想を通して仙骨の痛みは徐々に酷くなっていった。痛みの中に入っていくと仙骨はわたしに対して相当不貞腐れたエネルギーを持っている事がわかった。ただただ乱暴に扱われ、酷使され我慢を強いられ、頑張り続けるしかなかった。それでもケアをされることもなく、ほっておかれ、また必要だからと疲れているにも関わらずこき使われ続けてきたボロボロになった年老いた奴隷の様だった。

今までこき使われ、ほっておかれていたにも関わらず、いきなり主人が「調子はどうかね?」と馴れ馴れしく部屋に入ってきたような感覚だったのだろう。仙骨は下を向き最初無口でただ、不貞腐れたエネルギーを放出しているだけの陰湿なたたずまいだった。

わたしはそんな仙骨の状態がわかり、今まで向き合っておらず、大切にしてこなかったことを詫びた。ところがそこから仙骨に対してどれだけ横暴に対応してきたかが映画の様に見せられることになった。

実は私自身もAさんと同じに父親が男の子を望んだにも関わらず女の子として産まれた。
父から勉強しろと言われたことは皆無。しかし教育は一般家庭の常識からかけ離れたもので、性別問わず「男らしく強くなれ」というものだった。その軸になったものは「スキーのスパルタ教育」だった。わたしは子供の頃これにとても反発して大人になった。弟と妹はそんな私が父から罵倒され続けているのを見ていたので、父のスキー教育に従順に従っていった。下の二人がスキーの大会に出場するくらいにまで上達しても私は反発し、家に居たりスキー場に行ってもロッジで過ごしたりしていた。が、高校生になった頃、失恋をきっかけに突然その反発心は逆に触れだしたのだ。なんとその失恋相手は私と別れる理由に「女々しいから」と言ったのだ。
私以外に好きな人が出来て、「自分の事を俺!といいサッパリしたボーイッシュな子なんだ」と言った。
その時のわたしは今思えば本当にバカバカしいことなのだが、この失恋をきっかけに「男らしくないと男に好かれない」と本気で信じ込んだのだ。
(カルマは繰り返され、更に強化される法則)
私は「とことんスキーが上手くなってやる!」と思いだし徹底的にのめり込んだ。父が喜ぶコブ斜面に挑戦したり、派手に転んではすぐに起き上がり滑り続ける。この時に仙骨を打ち続けた。仙骨が私の反発心からの犠牲になったのだ。
髪(髪は神に通じると後で学んだ)にも八つ当たりした。刈り上げてずっとショートカットを貫いた。
自分がわからなくなりヤケになると交通事故を起こしたりもした。自転車に乗っていて車に跳ねられその時も仙骨を打ち、尾骨骨折。徹底的に男らしくなる必要があったので中型の免許も取り、自分の体力の限界まで挑戦し、調子に乗っている時にトラックに跳ねられ全身打撲。その時も仙骨を強打した。建築士になり男性社会の中に男性に負けない建築士になると努力、我慢、頑張ることしかできなかった時代、身体にいつもとても力が入っていた。人間関係がうまくいかず精神的なストレスがマックスになっていながらも頑張っていた自分。その時も腰に力を入れ踏ん張るしかなかった。結果、椎間板ヘルニアと診断され、歩けない状態で最初の会社を退社した。

そして、あれから時を経て現在まで、マッサージセラピストとしての仕事を17年。やはり身体の使い方は変わっておらず、腰を酷使し、特に仙骨にいつも力みがあることを感じながら施術を続けている。指先でお客さんの硬結部分をとらえケアするとき特に集中した力を使う。この力の入れ方こそ、私自身が今までこだわってきたことだった。セラピストになってから腰椎の骨が太くなり明らかに負担が重なっていることは身体の変化からもわかっていることだった。しかし、この仕事はわたしの魂の仕事。だから大丈夫。と今まで身体の使い方や手技をあらためたことはなかった自分が瞑想の中観えてきた。

わたしは内臓の病気になることは皆無なのだが、ぎっくり腰で歩けなくなるということを数年に1回定期的に繰り返している。わたしへのサインは腰、仙骨を通してメッセージされ続けていたのだ。Aさんの子宮への対応。それは私の仙骨への対応そのものを鏡として見せてくれていたものだった。

人の事は観えても自分のことは観えていないというのはこういうことを言うのだろう。
Aさんの態度からショックを受けた理由はここに気づくためにあったのだ。

意識の繋がりによって人と人とは必要な時に引き寄せられお互いに高め合うためにエネルギーでの相互作用が起きている。
たとえ施術者と被施術者という関係であってもだ。
あくまでも施術者は施術をし、被施術者の治癒力を高めるための仕事をする役割、被施術者はそれを被る立場であるものの
意識の世界から見た場合、魂レベルの成長、変容のためには意識同志は平等。相互関係が生じるものなのだろう。意識の世界は立場を超えた繋がりなのだ。

この解釈、対応を読み誤ると事態は違った方向になっただろう。
例えば役目どおりに意識のことも解釈するとしたら…
Aさんの問題を施術者のわたしが取って代わって治すことができるだろうか?
若しくはAさんの問題はAさんのこと。として放置しAさんの治癒力をAさん任せにしておくだけでエネルギーレベルでの治癒力が働くものなのだろうか…?

対して意識の繋がりを起点にした場合、互いの意識のエネルギーの接続が強化されるはずだ。バイブレーションは共鳴し、どちらかが切断していないかぎり増幅していく。

この後、エネルギー作用をこの様にありのままに受け入れることにより更なる展開に導かれていった。

痛みの根幹が自身の心の感情や感覚をも含むエネルギーの蓄積だと解釈した時、
わたしはこらえて我慢する、頑張って限界までやり続ける、踏ん張るという大きな石や岩の塊の様な重量を仙骨にかけてきたことになる。
重力をかけ続けて緊張状態がマックスになった仙骨は廻りの筋肉や軟部組織と連携し時々悲鳴をあげ、「限界だ、壊れそうだ!」と痛みを訴えてきたに違いない。


自分の仙骨の中に入っていく瞑想は続いた。瞑想すればするほどに痛みは増していった。
痛くなるたびに嫌だな、治したいという方向で表面に起きてくる痛みを抑圧してきた分だけ痛みの層が堆積していたのだろう。今まで痛みを緩めて解放するというより、痛い箇所を圧迫し硬くして年数分だけ痛んだ部分も圧縮して層になっていたのだ。
痛みを観ていくとその層が膨張し、拡散されるので、観続けていくことにより痛みが身体の中で広範囲に広がっていった。腰回り以外の箇所も痛くなってくると本当に辛さは倍増した。

更なる気づきへの深み...

Deep and Deep...
Deep and Deep...

やがて仙骨の痛みはお腹側に移動し、左わき腹から肋骨にかけて直線的にその痛みが今度は扇状に右方向、小腸にまで及び胃まで達した。

最初沈黙していた仙骨は話だし、「あんたの被害にあってきたのは私だけでなく、胃腸さんも相当きつかったんだよ。あんたは全く知らぬ存ぜぬであたしたちを無視し続けてきたけどね…」

瞑想の中で仙骨にそう示され、またある映像が浮かんだ。

頑張って何かをした後、我慢して自分を抑えていた後などに、わたしは好きなものを好きなだけ食べ(この場合よく噛まないで食べることが特徴!)動けなくなるくらい食べてしまう自分の姿だった。

この姿を観続けている間、胃と腸が重だるい痛みが出続けとても苦しかった。
普段、この行為をしている時は無感覚になっている。しかしこの痛みは常日頃この行為をしている間中、胃腸が感じていたものだったのだろう。

頑張る時や我慢の重力を仙骨にかけ、その後そのエネルギーの発散をするように、我慢して酷使する仙骨に溜め込んだエネルギーを今度は一気に解放しようとして、早食い大食いで負担を胃腸にかけていたのだ。
わたしは自身の身体の使い方を間違えていた。自分の身体を奴隷を扱うような横暴なやり方で接し続けてきたのだ。

「あ〜〜〜〜、ほんとうに自分の身体に申し訳ないことをしてきた…。」わたしは心底そう思った。


疲れた時に休むことだけが身体を労わるということではない。逆に言うと疲れた時に好きなことを好きなだけすることでかえって身体に負担をかけていることもある。
常日頃から身体の声を聴き続ける必要がある。と言われている由縁はここからくるのだろう。身体に対しても「今、ここ」の対応が必要なのだ。

ほんとうに大切な友達には適度な距離で思いやりを持って接する、相手が喜ぶことをする。
身体の臓器ひとつひとつに細胞一つ一つにわたしたちは大切な友達に接するように丁寧に接することが大事なのだ。

Aさんとのセッションは自分の次なる気づきに導かれるための意識と意識の繋がりからのエネルギー伝達だったのだ……

その後、Aさんにお会いした。
見違えるほど身体が引き締まり、目がぱっちりしていた。表情も生き生きしている。
聴くと、あの後子宮と和解をし、彼女もそのあとから暴食を止められたそうだ。
生まれてから今までずっと止められなかった暴食をあの施術後のご自身での子宮への瞑想を数回で子宮と友達になれ自然に変われたのだそうだ。3キロ痩せ、子宮を保護して大きくなっていたと思われるお尻が引き締まり小さくなっていた!


しかし、大きな気づきを得たわたしの身体は更にそこから数週間痛みを訴え続けていた。

その数週間、わたしはさらなるステージに導かれることになる。

仙骨への対話の瞑想をしはじめたわたしは仙骨に今までの様な重圧、重力をかけ続ける施術ができなくなった。そして胃腸に負担をかけるような早食い、大食いはできなくなった。




源に辿り着き... そして花開く現実の変化

開花
開花

なんと!その結果…施術が進化したのだ。

仙骨に重力をかけない、力を使わないでクライアントさんの身体をいかに解放できるか。そしてクライアントさんや私自身の負担なく、短時間の施術で結果をマックスに出せる施術…!
それは筋肉、筋膜をはじめとする背骨の外側の部分を0ポイントフィールド、ニュートラルポジションに誘導し、まさに身体を宇宙のフィールドに戻していく施術だった!
その方法が偶然目にしたインターネットの情報、そして自分の身体やクライアントさんの身体を通して与えられた。

そして、時を同じに難治の病と診断されている新規クライアントさん達複数の予約が入る。

その後
背骨を整え、脳脊髄液を体内に循環させることで人間の自然治癒力を最大限に引き出すことができる。そのことによって医学的には難治と言われてきたクライアントさんに対してのアプローチができることが複数の情報から分析、解析できた。

その方法が人類に共通して必要な治療法だという確たる証拠は
仙骨(仙−仏教の行者の意味を持つ)→ 背骨(神経―神の経みち)→ 頸椎1番(アトラスーギリシヤ神話の神の名前)

仏 → 神の経を歩く → 神 に辿り着く。

仙骨から神へ到達する道、背骨を通り、頚椎1番神に辿り着く。
この縦のlineが真っ直ぐになり脳脊髄液の循環が善くなることにより、人間の治癒力は
最大限に引き出される。
脳脊髄液の循環は神との対話、交流、神からのエネルギーを常に循環させていることを意味している。

わたしたちの内側に本来の自分―神と同質のものがあると言われている。

わたしはセラピストとしてここにアクセスすることを目標に様々なことを試みてきた。
そして遂にその謎が身体を通して明かされた。

まさに、肉体が神、宇宙を現している確たる真っ直ぐな証拠。そして逆から観るとわたしたちの病気はそのズレ、循環不全から始まっているという証拠でもある。
だから、ここを本来の位置に戻していく施術こそ、すべての病気の改善、健康に導く、その人がその人のあるがままの意識の(魂―神と同一)覚醒の道への身体から、外からの施術を通してのアプローチなのだ。

この方法が短時間の手技でできることがわかった。

数か月前、武術家の日野晃先生のワークショップに参加した時に先生に質問した。
「多くの方の施術を通して幾通りものパターンを経験するからこそ誰の身体でも治せるようになる、だから経験こそ私の技術の裏付けになるものだと思うのですが先生はどう思われますか?」
そこに、日野先生は
「確かに経験も大事。そやけど、それやといくら時間があっても足りんな。手っ取り早くいくなら、人間に共通する場所、誰にも共通する場所があるんよ。そこに同じことすれば皆、治るんと違う?そこを探せばいいだけや」

……………

その応えも今、受けとれたのかもしれない。

更には解剖生理学的にどこに意識をフォーカスして行えばよいかなどのポイントについて示される新たな情報が与えられた。まるですべてがパズルの様だ。

今までは、施術全体の中で背骨においていたウエイトが3割、その他7割をクライアントさんの状態に合わせて分散する感覚の割合だった。
しかし、バージョンアップ後、背骨の矯正、脳脊髄液の循環を全体の5割から6割の割合、若しくは多い時は7割、全体の調整を5割から3割の割合調整になるだろう。
靈氣を使いながら行うことで更に効果があがることもわかった。

そうすることで施術の密度、スピード、治癒力の増大、更にはクライアントさんも私も負担のない施術になる。

そして、今まで治らなかった方、医学では難治と診断されている方々への自然治癒力アップを期待できるはずだ。

更に不思議なことに、この施術革命と同時に靈氣力までアップされていたことに気づいた。
手を充てて数秒で痛みが消えるようになったり、上がらなかった手足の可動域が上がるようになったりした。

今、まさに統合なのだろう。
靈氣ヒーリング、OSHO瞑想とOSHOからのメッセージとメソッド、オーストラリアで学んだレメディアルマッサージ、そこからの解剖生理、病理学…そして人生の中で体験してきた真理、宇宙の法則が1つに統合され、Aroma.Ya.Soraのメソッドがほんとうにそれでいい。と宇宙から認められた感じがしている。

そして、さらなる気づき…
それは17年前、私がこの店を立ち上げた時に基本のBasicレイキリラクゼーションマッサージこそここに辿り着く原点、原型だったのだということ。

ここに気づけたことも大きかった。
バージョンアップをし続けると人は初心を忘れる。
しかし、宇宙は私にそして、Aroma.Ya.Soraのメンバーに初心を忘れることなく謙虚な気持ちで施術を行いなさい。とメッセージしているのだろう。

そして、ほんとうに宇宙はいつも誰にも平等に愛を与え続けている…

ありがとう。 合掌…

OSHOメッセージ 〜私の肉体は私の友人だ〜

身体の声を聴き続ける...
身体の声を聴き続ける...

私の肉体は私の友人だ
 
肉体には敬愛の念をもって接するべきだ。神は、肉体に宿ることを選んだ。
 肉体は奇跡だ。それは途方もなく美しく、途方もなく複雑だ。肉体ほど複雑なものはなく、精妙なものはない。あなたは肉体についてなにも知らない。ただ、鏡のなかの自分を見たにすぎない。

内側から自分の肉体を見たことはない。そうすれば、それ自身がひとつの宇宙だ。肉体は宇宙の縮図だと神秘家はつねに語っている。内側から眺めれば、肉体はひじょうに広大だ。何百万という細胞があり、それぞれの細胞が生きている。各細胞がそれぞれの機能を果たす様子は、信じられないほど素晴らしく、ほとんど不可能に近い。
 
食事をすると、肉体はそれを血液、骨格、骨髄に変える。食事をすると、肉体はそれを意識、思考に変える。奇跡が毎瞬起こっている。各細胞、何百万もの細胞がほとんど不可能に見えるほど組織的に、正確に、内部の秩序に従って機能する。ひとつの肉体のなかに7百万もの細胞がある。7百万の魂だ。それぞれの細胞にはそれぞれの魂がある。それらは、ひじょうに整った統率、リズム、そしてハーモニーのうちに機能する。同じ細胞が目になり、同じ細胞が皮膚になり、同じ細胞が肝臓になり、心臓、骨髄、心、脳になる。

そして、それらはいかにして動き、ひじょうに精妙に静かに働く。肉体のなかに神が表出する。あなたは内側に入る必要がある。あなたはまだこの寺院で自分自身と対面していない。神を遠い空のかなたに探し求めてはならない。自らの肉体のなかに探すがいい。
 

肉体は、あなたの大地だ。あなたは肉体に根づいている。あなたの意識は、肉体のなかの木のようなものだ。あなたの思考は、果実のようなものだ。あなたの瞑想は、花のようなものだ。しかし、あなたは肉体に根づいていて、肉体がそれを支えている。肉体は、あなたが行なっていることすべてを支えている。愛するとき、肉体はそれを支える。憎むとき、肉体はそれを支える。あなたが誰かを殺そうとしても、肉体はそれを支える。あなたが誰かを守るときも、肉体はそれを支える。慈愛、愛、怒り、憎悪――

いかなるときも
――肉体はあなたを支える。あなたは肉体に根づいていて、あなたは肉体に養われている。あなたが自分とは誰かを認識するときでさえ、肉体はあなたを支える。
 肉体を殺してはならない。マゾヒストになってはならない。肉体を苦しめてはならない。それはあなたの友人だ。あなたの敵ではない。そのことばに耳を傾け、そのことばを解読すれば、やがて少しずつ、あなたは肉体という本に入っていき、そのページを繰りながら、生の神秘全体に気づくようになる。

Osho

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